天皇誕生日と伊勢神宮
今週は天皇誕生日もあったので、令和元年に家族で訪れた伊勢神宮の参拝記録をまとめてみます。なぜ伊勢神宮を思い出すかというと、それはお伊勢さんと皇室との深い結びつきです。伊勢神宮の内宮に祀られているのは、皇室の御祖先とされる 天照大神(あまてらすおおみかみ)。日本神話において天照大神は太陽の神であり、そこから続く血統が歴代天皇へとつながるとされています。
つまり、伊勢神宮は単なる「日本の神社の中心」というだけでなく、天皇の御祖神を祀る“国家の根源”のような場所でもあるわけです。また伊勢神宮の正式名称は「神宮」です。全国には「○○神宮」と名のつく神社がいくつかありますが、「神宮」とだけ言えば伊勢を指すというのは、ここが日本の神社の中心であることを物語っていますね。
伊勢神宮のことを思い返すと、あの静謐な空気の奥に、何百年、何千年と続いてきた祈りの積み重ねが確かに息づいていたことを改めて感じる気がします。
令和元年 伊勢神宮の参拝記録
その後、高野山を経て 同じ年の8月に妻と娘と三人で伊勢へ向かいました。
生まれも育ちも大阪の私は、学生時代には学校の宗教行事として、また家族・親戚と何度か訪れたことがある伊勢神宮。何度来ても「別格」という言葉が自然と浮かびます。空気の張りつめ方、森の深さ、参道の静けさ──すべてが他の神社とは一線を画しているように感じます。
なお、伊勢神宮は「外宮→内宮」の順に参拝するのが正式とされています。この日もその流れに従い、まずは豊受大神宮(外宮)へ。
外宮の森は深く、参道の砂利を踏む音が心地よく響きます。家族で歩きながら、娘の成長やこれまでの旅のことを話したり、写真を撮ったり。夏の伊勢は暑いのですが、木々がつくる影が優しく包んでくれます。


★外宮について・・・外宮(豊受大神宮)は、内宮より約500年後に成立したとされます。
雄略天皇22年(5世紀頃)、天照大御神の食事を司る神として豊受大御神が丹波から迎えられました。この「食」を司る神を別宮として祀るという構造は、伊勢神宮が単なる宗教施設ではなく、国家の祭祀を支える“生活の根本”を象徴する場所であったことを示しています。
続いて内宮へ。宇治橋を渡る瞬間は、何度来ても背筋が伸びるような感覚があります。橋の向こうに広がる神域の空気は、まさに「清浄」という言葉がぴったり。家族でゆっくりと歩きながら、正宮へ向かいました。




内宮について・・・伊勢神宮の内宮(皇大神宮)は、約2000年前、倭姫命が天照大御神をお祀りする場所を探し、五十鈴川のほとりにたどり着いたことが始まりと伝わります。
皇室の祖神を祀ることから、古代は国家の中心的な聖地として重んじられ、奈良・平安時代には朝廷の儀式が盛んに行われました。5世紀には、天照大御神のお食事を司る豊受大神を迎えて外宮が成立し、現在の二宮体制が整います。中世以降は庶民の「お伊勢参り」が全国に広まり、江戸時代には数百万人が訪れるほどの大流行となりました。そして伊勢神宮を象徴するのが、20年に一度の式年遷宮。1300年以上続くこの伝統は、建物や祭祀を新しく保ち続ける「常若(とこわか)」の精神を今に伝えています。
伊勢神宮内宮外宮の御朱印

外宮・内宮ともに力強い筆致で、日付の「令和元年八月」がとても印象的。出雲大社もそうでしたが非常にシンプルなのがまた別格感を与えるように思います。
出雲大社、高野山、そして伊勢神宮。
令和元年は「御朱印巡り元年」とも言える一年でした。御朱印帳を開くたびに、あの日の空気がよみがえります。

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