雪の日に御朱印帳を開いて思い出した、高野山へのひとり旅
先日、雪の日に書いたブログのために久しぶりに御朱印帳を開きました。 外はしんしんと雪が降っていて、静かな時間の中でページをめくっていると、 紙の手触りとともに、旅の記憶がふわっとよみがえってきます。(最近、御朱印転売のニュースをちょくちょく聞きますが、自分が行ってないところの御朱印ってどうなんでしょうね)
一番最初のページには、出雲大社の御朱印。
「そうそう、ここから自分の御朱印旅が始まったんだよな」 そんなことを再度感じながら次のページをめくると、 2番目に書かれていたのは、高野山・金剛峯寺の御朱印でした。




「ああ、この頃は大阪に単身赴任していたな」 伊勢神宮と迷いながらも、距離や時間、そして自分の中にある“縁”に背中を押されて、 車に自転車を積んでひとり高野山へ向かった日のことが、鮮やかに思い出されました。

高野山との縁は、中高時代の“修行”から始まっていた
高野山・金剛峯寺の御朱印を見た瞬間、胸の奥にすっと昔の記憶がよみがえりました。 前にも少し触れましたが、私の通っていた中高は高野山真言宗の流れをくむ学校で、 当時の校長先生は高野山真言宗の大僧正でもありました。 そのため、学校生活の中には自然と“高野山の空気”が流れていたように思います。
特に忘れられないのが、毎年行われる高野山での修行。 これは学校の中でも最大の重要行事で、参加しないと進級できないほどの位置づけでした。 毎朝の朝礼で唱えていた般若心経を、 今度は自分の手で一文字ずつ写経する。 静まり返った空間で座禅を組み、心のざわつきと向き合う。 十代の自分には正直しんどい時間もありましたが、 あの独特の緊張感や、山の冷たい空気、墨の匂い—— すべてが今思えば、心のどこかに深く刻まれていたのだと思います。
だからこそ、大阪に単身赴任していたあの頃、 ふと「高野山に行こう」と思ったのは、自然な流れだったのかもしれません。

(▲高野山の入口に佇む女人堂。ここを通ると、学生時代の修行の記憶が静かに蘇る。)
神社とお寺、御朱印帳は分けるべき?
こうして御朱印帳を眺めていると、ふと気になったのが 「神社とお寺、御朱印帳は分けるべきなのか」ということ。
実は、高野山で御朱印をいただくときに、まさにそこで悩んだんです。 出雲大社から始まった御朱印旅の2ページ目がいきなり金剛峯寺。 「これって同じ御朱印帳でいいのかな…?」と受付の前で少し戸惑ったのを覚えています。
調べてみると、御朱印はもともとお寺で写経を納めた際にいただく「納経印」が始まりと言われているようです。 一方で、神社の御朱印は参拝の証として広まり、現在では多くの神社で授与されています。 では、御朱印帳は分けた方がいいのか——。 結論から言うと、現在は“どちらでも大丈夫”というのが一般的な考え方のようです。 神社とお寺を同じ御朱印帳にいただいても問題ありませんし、 実際に一冊で巡っている方も多いです。 ただし、伊勢神宮のように「専用の御朱印帳を推奨」している場所もありますし、 宗派や寺社によっては考え方が異なる場合もあるようですので、それぞれの感じ方に合わせて分けるか分けないか考えればいいんでしょうね。
私はというと、最初の頃は深く考えずに一冊にいただいていましたが、 ページをめくるたびに旅の記憶がつながっていくこの感じが気に入って、 今では“ひとつの旅の記録”として一冊にまとめています。




(▲金剛峯寺。大規模修繕中だった壇上伽藍の中心に立つ鮮やかな朱色の根本大塔。)
お伊勢さんへと続く
そして御朱印帳のページをさらにめくっていくと、 高野山の次に現れるのは、伊勢神宮の御朱印。 実は、高野山へ行ったあの頃から、 「次はお伊勢さんにも行きたいな」と思っていました。 その願いが叶ったのは、少し先の夏休みの家族旅行でした。
家族で訪れた伊勢神宮のことは、 また別の機会にしっかり書きたいと思っていますが、 御朱印帳の中で高野山の次に伊勢が並んでいるのを見ると、 自分の人生の流れがそのまま記録されているようで、 なんだか不思議な気持ちになります。 御朱印帳は、参拝の証であると同時に、 その時々の自分や家族の姿までそっと閉じ込めてくれる—— そんな存在ですね。


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